真実は、いつもひとつ、じゃない、かも。

最近、このホームページや、ロードバイクアカデミーの開設にあたって、いろんな情報サイトやyoutube動画をあさるようになった。

インターネットが無かったら、ワードプレスなんてものが存在していないのはもちろんなのだが、ワードプレスのサイト作成方法をちょっとググっただけで、なんとも無限に情報が出てくる。

我々は、論理がしっかりしている情報を確からしい情報だと認識する。その意味では、論理がしっかりしている情報はどれも真なのだと思う。

しかし、論理的に矛盾のない情報であっても、論理の立て方や立場の違いによって、情報というのは簡単に齟齬するのだというのを感じる。

抽象的過ぎて分かりづらいって?

ブログやサイトを作成する過程でwebマーケティングに関する勉強をしていた。サイトアフィリエイトとブログアフィリエイトの違い、両者の長所と短所、など、勉強の内容は多岐にわたるのだが、

ある人はこれからは再びペラサイトが伸びるといい、

ある人はこれからは権威性のあるブログしかwebに生き残っていけなくなるといい、

ある人は、SEO戦略よりもSNSマーケティングが伸びるという。

どれも、自分の将来の方向性を決定づけるには聞き逃せない情報なのだが、これらは、どれも論理だっていて、その記事を読んだときはいかにも確からしいと感じるのに、それらは互いに相反した内容である。

僕が参考にしたサイトにももちろん発信者がいて、発信者は自分のたどってきたやり方が一番正しいと思っている。

それは人間なら当然のことで、だれだって自分のやってきたことは正しいと思いたいし、実際に僕が参考にしたサイトの作成者はみんな成功しているので、その意味でその人のやり方は正しいのだろう。

ブログやサイトを大規模にするための方法というのは、沢山あって、どれも論理的に矛盾のない正しい内容である。

しかしどうも自分は、それらの論理に裏付けられた真の情報をひとたび目にすると、その情報一つだけに過剰に固執してしまい、それ以外の、同様に真である情報を受け付けなくなるようである。

これは非常にまずい。

一つの目的を達成するためには、それに必要な要素を多角的にとらえ、沢山の「正しい情報」の中から、自分と親和性の最も高い施策を選び、そして一度そうしたら、考えを曲げることなく突き進まなくてはならないのだな。

そんなことを考える、休学2年目の初夏の夜更けである。

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