「トラックの運転が危ない」は真なのか?

思考

「大型トラックは嫌いだ」
僕が自転車界で8年間生きてきて、頻繁に同業から聞く言葉だ。

公道で練習をしている以上、後続車から追い越されることを避けることはできない。道幅の細い山道などを走っていて、後ろからトラックのエンジン音が聞こえる時は、身構えてしまう。横幅の広い車は、安全に追い越そうとしても、道幅の関係で十分な安全マージンを確保できないことも多いだろう。

そして中には、追い越しの際に明確な悪意をもった追い越しをしてくるドライバーがいる。ハンドルの横を抜いてすれすれを抜いて行ったり、追い越した後に必要以上に車線に切り込んできて進路妨害まがいのことをされる。
僕自身もこのような悪意のある追い越しをされたらイラっとするし、なんなら少々スプリントして信号待ちで追いつき、ナンバーを控えようなどという愚かな衝動に駆られることもある。

サイクリストの「大型トラックは嫌いだ」という言葉は、こうした経験から出てくるものだと僕は思っている。

前置きはこのくらいだが、僕はこの記事で、同業の言葉に同調して大型トラックのドライバーを責め立てたいわけではない。むしろこのように、悪意の感じられる追い越し方をするトラックドライバーがいたという事実だけでトラックを嫌いと言ってしまう、一斑を見て全豹をとするような考え方に警鐘を鳴らしたいのだ。

逆に、自身が車を運転するときのことを考えてみよう。そこら中に自転車が走っていて、ロードレーサーにもそこそこ出くわすことがあるだろう。
そしてその中には、ふらふらと危なっかしい走りをしていたり、信号無視をしたり、明らかに自動車にたいして謎の敵意を向けたりしているサイクリストに出くわす。

僕たちサイクリストが車のドライバーに向けている視線は逆もまた真なりで、僕たちが、悪意のある運転をされることで向けている敵意と似たようなものを、少なからず向こうも抱えているのだ。

道路というのはそもそも公共財なので、私道でもないかぎり誰のための道ということはない。よって前提として、道路を使っている自転車も車も、法律にのっとっているかぎりどちらが悪いということはないのだが、この自転車vs車の言い争いや、SNSを通じた晒しあげはいつまでたっても収まらない。

ところが、日本の法律で自転車と自動車の関係を考えてみると、自転車は軽車両、自動車は車両に分類され、自転車の方が法律上は交通弱者となる。
サイクリストでマナーの悪い運転をする人はこれを知ってか知らずか、あたかも道路が自分のものであるかのような運転をしている。

自転車に乗って生計を立てている身として、自転車が今後も社会一般に悪く思われない、ひいてはイメージアップにつながるような情報発信をしていきたい。そこで自分自身も、路上で明らかな悪意のある運転をされても、感情に任せた煽りやナンバーを控えるなどの行動は差し控えるようにしている。
そして先に述べたように、一斑をみて全豹をなすようないわゆる「視野の狭い」考え方をしている人には、その考えを改めてほしいと思う。これはサイクリスト、車のドライバー双方に訴えたい。完全にゼロにならなくても、大人な考えを持つ人が一人でも増えれば、自転車と車の論争が起こる頻度は減っていくはずだ。もちろん道交法順守なんてのは前提での話だが。

当たり前であるが、悪意のある運転をするサイクリスト、ドライバーがいたとして、全てのサイクリスト、ドライバーがそうではない。前に通過したトラックに悪意のある運転をされても、それは次のトラックの進路を妨害する理由には当然ならないのだ。

交通弱者、つまり事故に発展した際には優位に立つ立場として、サイクリストの方から率先して、感情に任せた煽り運転やけんかっ早い言動を控え、インフラや運送業を支えるドライバーを尊重した運転ができるように、せめてこの記事を読んでくださった人だけでも、各々心掛けたいものだ。


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